2002年度(平成14年)

2002.9.1 〜2003.8.31

第13回定時総会2003年2月14日(金)

場所:キャピトル東急ホテル
17:30 〜17:50 定時総会
18:00 〜19:00 懇親パーティー
※第13回定時総会は年があけてから東京にて開催

本格化する沖縄科学技術大学院大学設置計画

本年度の総会は、2期目の沖縄県知事選に当選した稲嶺氏を含む沖縄側が、東京に出向いて開催された。沖縄科学技術大学院大学の実現に向けた声明を決議。懇親パーティーには森喜朗氏(前総理)や、細田博之氏(沖縄相)、小林陽太郎氏(経済同友会代表幹事)らがかけつけ、経済界の支援を呼びかけた。

声明を受け、細田氏は「これからいろいろな難関を乗り越え、世界第一級の大学院大学をつくらなければいけない」と決意を新たにした。小林氏は「日本には世界一の大学や大学院大学はない。世界に誇れるものをつくるのは意義深い。同友会でも重要な問題として認識していきたい」と述べた。

軌跡沖縄新大学院大学緊急フォーラム

2003(平成15)年6月1日、沖縄科学技術大学院大学の基本計画を検討する第一回評議会が開催された。その翌日に、東京の経団連会館で「沖縄新大学院大学緊急フォーラム」(主催:科学技術国民会議)が開かれ、稲嶺惠一沖縄県知事、尾身幸次前沖縄相も招かれた。基本計画に関わるノーベル賞学者が講演会およびパネルディスカッションを行い、「大学院大学の研究は経済面も含め世界全体に貢献する」との考えを示した。

トーステン・ヴィーゼル氏(ロックフェラー大学前学長)は「政府が十分な資金を提供しなければならない」と発言。リー・ハートウェル氏(米フレッド・ハッチンソン癌研究センター所長)は「研究での革新的な成果を産業に転換させるべき」といった産学連携の必要性を指摘した。なお本会では、この緊急フォーラムにおいて懇親パーティーを開催し、同年6月20日発刊の日本工業新聞社の新聞広告記事への協賛を行った。

軌跡稲嶺県政、二期目に

稲嶺氏、歴史的圧勝で再選を果たす。
写真提供:沖縄タイムス社(2002/平成14年11月18日1面)

任期満了に伴う沖縄県知事選挙が2002(平成14) 年11月17日に行われ、現職の稲嶺惠一知事が元副知事の吉元政矩氏に21万票という大差をつけて当選。
全市町村で得票率1位をマークしており、マスコミは「歴史的圧勝」と報じた。

勝因は、本土企業の誘致など、沖縄懇話会と連携して進めた経済政策を中心とする過去4年間の実績が県民に評価されたこと。公約の一つに当時8%あった失業率を下げることを掲げた。普天間飛行場の移設と「15年使用期限」という難しい課題はあったが、その政治手腕に沖縄県民は希望を託す格好となった。

当選直後に語った「1期目に種をまいたことを花開かせたい」との言葉通り、2期目は沖縄科学技術大学院大学など、中央との太いパイプを活かした大規模プロジェクトを次々と成功させていった。

2003(平成15)年2月15日沖縄タイムス(2面)

沖縄に高等教育機関と知的産業クラスターを

設立5年目の1994(平成6)年、「これからの高等教育のあり方」と題したフォーラムで、大学院の強化や開かれた大学づくりを求める基調講演を受け、「アジア太平洋地域のための高等教育機関をつくるのに沖縄は非常に適している」と牛尾治朗氏が提言するなど、かねてから人材育成や高等教育の重要性に着目していた沖縄懇話会。1995(平成7)年のフォーラム「地域活性化の問題点」でも、ベンチャー企業の育成、理工系の大学教育の強化などが論じられた。この頃から沖縄のさらなる振興のためには、高等教育機関の設置と、それに伴う知的産業クラスターの形成が必要だという考え方は共通認識となっていったと言えるだろう。

本年度の定時総会前の幹事会では「沖縄新大学院大学構想」への取り組みについて協議し、定時総会で声明を決議したほか、懇親パーティーも「沖縄新大学院大学の実現にむけて」と題して開催。このパーティーには沖縄科学技術大学院大学設立構想のキーパーソンである、尾身幸次前沖縄相兼科学技術相も出席した。内閣府の主導で進められた大学院大学の設立を、民間の立場から全面的にバックアップした本会。文部科学省の認可が下りた2011(平成23)年には、「沖縄科学技術大学院大学との産業連携を模索する~知的産業クラスターアイランドOKINAWAをめざして~」と題してラウンドテーブルを開催することになる。

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