九州・沖縄サミットの招致

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2000(平成12)年7月、九州・沖縄サミット(第26回主要国首脳会議)が開催された。さかのぼること2年前の1998(平成10)年、懇話会で長く幹事を務めた稲嶺惠一氏が沖縄県知事に当選すると、懇話会は総力を挙げて稲嶺新知事をバックアップ。特にサミット招致活動には重点を置き、本土側の幹事は稲嶺知事が就任後初めて上京すると、「就任祝い」を開催。その際にサミット招致を呼びかけるなど、積極的に動いた。また、牛尾治朗氏、椎名武雄氏、諸井虔氏、宮内義彦氏は小渕恵三総理(当時)に直談判し、「ぜひサミットは沖縄を中心に開催してほしい」と強く要請。小渕総理は、沖縄での開催を決断した。
このサミットは、日本では初めて地方で開催されることが決まっていたため、札幌、広島、福岡、宮崎など8つの地域が先に名乗りを上げており、最後発の沖縄は不利と見られていた。それだけに沖縄開催は「大逆転」と報道された。

小渕総理は早稲田大学に在学中から頻繁に沖縄を訪れ、知己を得て、政治家になる前から沖縄の苦難の歴史に強い思いを寄せていた。また、沖縄開発庁長官を務めた経験もあり、沖縄を「第二の故郷」と表現していたことは知られている。沖縄からの陳情だけでなく、東京の財界人からも背中を押され、沖縄開催という英断を下したと考えられる。ところがサミットを目前に控えながら、突然脳梗塞で倒れ、2000(平成12)年5月にこの世を去った。倒れて間もない時期、内閣は総辞職を決定。7月のサミットは後任の森喜朗総理がホスト役をつとめた。首脳会談の会場となった万国津梁館の庭には、両手を広げて椅子に座った小渕元総理の銅像があり、毎年「故小渕恵三元総理への感謝をささげる献茶会」が開催される。銅像の台座には「宿命に生まれ、運命に挑み、使命に燃える」という小渕元総理自身の言葉が刻まれている。

九州・沖縄サミット

沖縄での首脳会議は2000(平成12)年7月21日にG7首脳会合・G8ワーキングディナー、7月22日にG8首脳会合(万国津梁館)・社交行事・森総理主催社交夕食会(首里城)、7月23日にG8首脳会合と議長記者会見が開催された。写真は7月22日に撮影されたG8首脳集合写真。

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