1990年度(平成2年)

1990.10.9 〜1991.8.31

設立総会10月9日(火)

場所:沖縄ハーバービューホテル
14:00 ~ 14:45 設立総会
15:15 ~ 17:45 記念シンポジウム
         パネルディスカッション
18:00 ~ 20:00 記念パーティー

本土と沖縄を結ぶ懸け橋に

2年近くに及ぶ準備期間を経て、沖縄懇話会は設立総会の日を迎えた。総会では設立趣意書と規約を審議・決定し代表幹事など役員を選出した。

代表幹事に選出された牛尾治朗氏は「先の大戦で沖縄は最も厳しい体験をされ、戦後の占領時代も激しい体験をされた。本土の経済人が沖縄の労苦に対し、手伝うことはないかという気持ちが懇話会の設立になった」と挨拶。同じく代表幹事の崎間晃氏は「残念ながら沖縄はまだ格差が大きく、難しい問題がある。懇話会でざっくばらんに交流しながら協力を」と述べた。

  • 諸井虔氏(秩父セメント)

  • 稲盛和夫氏(京セラ)

  • 崎間晃氏(琉球銀行)

沖縄懇話会設立記念シンポジウム

「21世紀を拓く沖縄の視点」

沖縄懇話会設立記念シンポジウム

シンポジウムにはパネラーとして、牛尾治朗氏(ウシオ電機会長)、諸井虔氏(秩父セメント会長)、稲盛和夫氏(京セラ会長)、崎間晃氏(琉球銀行頭取)、稲嶺惠一氏(琉球石油社長)の5人が登壇した。

日本を代表する経済界トップリーダーらによる沖縄懇話会の設立は沖縄県内外の注目を集め、約250人が参加した設立記念シンポジウムはRBCテレビでも放映された。

シンポジウムでは「嘉手納基地を国際空港とし、自由貿易を旗印に、日本で最も自由で国際的な地域にすれば発展する」(稲盛和夫氏)、「沖縄の立地条件を生かすために情報の集積が大切。本土のまねではなく、アイデンティティを活かす方向がよい」(諸井虔氏)、「東南アジアに向け、こちらから情報発信したい。リゾートでも客の15%を海外から呼ぶとの発想を持って」(牛尾治朗氏)、「ウリミバエの根絶など沖縄でできた技術を発展途上国へ移動することも可能。自由貿易地域など規制緩和が必要で、三次・四次産業中心でよいと考えるべき」(稲嶺惠一氏)、「産業構造についての固定観念を捨てるべき。財政依存の態勢ではなくなりつつある。思い切った規制緩和を」(崎間晃氏)など、活発な意見交換が行われた。

軌跡沖縄懇話会の組織体制について

本土側会員と沖縄側会員からなる沖縄懇話会。設立時は本土側から30社、沖縄側から26社が参加し、年を追うごとに会員企業は増加。この種の組織は全国的にも例がなく、日本の経済界全体からも注目された。また、文化・知識人で構成される特別会員という枠もある。設立時には最高顧問、代表幹事、幹事、会計幹事、事務局という体制が敷かれた。(規約、役員一覧、現在の会員名簿については120ページからの資料編を参照)

大交易会の歓迎レセプションとフードショーを兼ねての懇親会

最高顧問に就任した中山素平氏(日本興業銀行特別顧問)。
懇話会の生みの親とも言える存在。

本土企業人が支援

1990(平成2)年10月10日
沖縄タイムス(11面)

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