沖縄懇話会30周年記念誌
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49以来、2019(令和元)年の12月まで事務局長を務めました。良い経験をさせてもらいましたね。中でも、現在進行形でもある第二滑走路の動きが一番印象に残っています。2003(平成15)年頃、観光客がどんどん増加する中で那覇空港が手狭だという声が上がってきた。 第二滑走路が必要じゃないかという話が盛り上がって、国の方にも県から働きかける中で、内閣府沖縄総合事務局と沖縄県が主体となって、パブリックインボルブメント、要するに県民の声を聞くということをやりました。「第二滑走路についてどう思いますか」と。経済界や一般の県民にも聞くんです。これを実施したのが2003(平成15)年なんですね。 こういう中で、沖縄懇話会でもこれをぜひバックアップしたいという話が出まして、2年後の2005(平成17)年にシンクタンクの南西地域産業活性化センターに調査事業を委託しました。当時は事務局幹事としてこの件に関わるようになりましたが、2006(平成18)年からは事務局長として関わりました。正式名称は「那覇空港滑走路増設促進に関する調査事業」と言いますが、要するに可能性調査ですね、総事業費1751億円と言われていましたから、金額はかなり大きいです。これを民間でやる可能性について調査をお願いしますと委託をしました。当時の代表幹事だった知念代表、小禄代表は「大きな出費になるけれども、沖縄の将来にとっては重要なことだ」と考えていました。知念代表、小禄代表もそういう思いでしたけれど、特に仲井眞代表が「これぐらい金をかけてでもやる」という熱意で。 それを事務局として対応したわけです。2005(平成17)年に調査事業をやるんですけれど、2006(平成18)年に沖縄懇話会で7年間代表幹事をされた仲井眞さんが知事に選出されましたので、沖縄懇話会のほうでは顧問になられました。2007(平成19)年のラウンドテーブルで、那覇空港滑走路増設に関する調査報告を致しました。この辺が滑走路の増設に向けて大きな推進力の一端になったのではないでしょうか。まず、航空整備特別会計、通称航空特会が枯渇している、全く予算がないという状況がありました。そこで沖縄懇話会では、民間活力を利用したPFI事業で滑走路増設に向けた調査事業を行いました。PFI事業というのは簡単に言うと、公共事業を民間の資金、経営・技術的能力を活用して行う手法です。国や地方公共団体が直接実施するよりも、効率的・効果的に公共サービスを提供できるというメリットがあります。それで、PFI事業を駆使してでも第二滑走路を建設したいという沖縄懇話会の報告や県民の声、それからパブリックインボルブメントの結果も、県民が第二滑走路を望んでいるというような答えが出たので、結果的には国も前向きに受け止めたようです。那覇空港は大阪航空局が管轄なんですね。概算で1900億円、当初は7カ年計画として第二滑走路建設が発表されました。それをオリンピックに間に合わせたいという声が沖縄懇話会からも上がりました。仲井眞知事が県からの強い要望という形で国に働きかけ、工期が5年10カ月に短縮されたという経緯があります。――事務局長として、これまでの流れをずっと内側からつぶさにご覧になっていたわけですね。――事務局長として大仕事を担われましたね。――この調査報告がどういう推進力を持ったのか、わかりやすく教えてください。沖縄経済発展の基盤となる那覇空港第二滑走路整備事業で懇話会が果たした役割とは

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