沖縄懇話会30周年記念誌
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安里昌利47全日空の伊東会長は本土側の幹事をしていらっしゃいます。沖縄の立地条件に目をつけて、全国から沖縄に集積したものを、翌朝、東南アジア各地に届けるという構想で物流ハブを沖縄に作ったわけです。これはすごいことですよ。今は米中貿易戦争や新型コロナウイルスの影響がありますが、これが済んだら、また再開です。これは牛尾さんや諸井さんが「沖縄には素晴らしい文化がある。それを発展させるには施設が要る。それが国立劇場だ」と言って政府を後押ししたんです。沖縄側では稲嶺さんも自ら招致委員会として一生懸命やっていましたね。中山さんたちの沖縄への思いは先ほど申し上げましたが、京セラの稲盛さんは「自分は鹿児島の出身だ。鹿児島と沖縄には侵略の歴史があって、長い間沖縄に犠牲を強いてきた」ということもいつもおっしゃっていました。そういう意味では、あの世代は皆、戦争と平和についての強い思いがあったんですね。世代交代については、もう懇話会のラウンドテーブルは若手に切り替えてきています。沖縄には若い経営者が増えていますし、中山さんのおっしゃっていた「東京で堂々とモノを言える経営者」、どこに出ても物怖じしない人材が育っていますから、むしろ今後が楽しみですよ。沖縄振興・発展のために、懇話会は政府とは違った面で、できるだけの力を発揮してきたと思います。これからは若い世代が、私どもが懇話会を作った時の主旨を活かして、一つずつ事業を展開していくことを望みたいですね。それには、本土の経済人と人脈を作ることが大切です。なかなか一朝一夕にはできませんけれども、懇話会という場があるわけだから、大いに活用してもらいたい。今後の沖縄経済を考えると、いろんな政策を沖縄で展開するには中央政府の力が入るかもしれない。そういう場面で、どういう風に知恵を出し合って展開していくかですよね。発展のためには、みんなで協力していかないといけません。率直に言って、時には政府の力も借りないと、前に進まないんですよ。違う、違う(笑)。私は放送人ですから、分というものがあります。縁の下の力持ちとも言えない、ただの支え棒ですよ。プロフィールおろく くにお1935(昭和10)年生まれ。1960(昭和35)年琉球放送株式会社入社、1975(昭和50)年同社東京支社長、1982(昭和57)年同社代表取締役社長、1997(平成9)年より同社代表取締役会長、2011(平成23)年6月より同社代表取締役最高顧問。2019(令和元)年より取締役最高顧問 取締役会議長、2020(令和2)年より最高顧問、現在に至る。1994(平成6)年沖縄経済同友会代表幹事、2000(平成12)年同会特別幹事、沖縄懇話会では設立時より幹事、1998(平成10)年度からは代表幹事を務め、現在に至る。早大卒。――アジアへのゲートウェイということでは、ANAの物流ハブも大きいですね。――経済だけでなく、文化の面でも懇話会の功績は大きいですね。特に国立劇場おきなわは、組踊をはじめとする伝統芸能継承の場として、もはや沖縄になくてはならない存在です。――人材育成や世代交代については、どのようにお考えですか?設立メンバーの熱い想いと、今の若い方ではギャップがありますか?――懇話会の、この30年をどのように評価されていますか?また、今後の展望は?――30年間ずっと懇話会に尽くしてこられて、小禄さんは、まさにミスター懇話会ですよね。

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