沖縄懇話会30周年記念誌
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46みんなどよめきましたよ。当時、琉球銀行の崎間晃さんが商工会議所の会頭も兼務していましたので、崎間さんと私が稲盛さんに呼ばれて「席上で沖縄に携帯電話会社を作りますと言いました。崎間さん、小禄さん、沖縄で中心になってやってください。一緒にやりましょう」と言われました。そこで崎間さんと私が、セルラー電話の株を集めましてね、これが沖縄セルラー電話のスタートです。それで、総会で稲盛さんが宣言された通り、携帯電話の料金は半分以下になりました。それでこんなに普及したわけで、稲盛さんはすごい功績があります。懇話会は、ウシオ電機の牛尾会長、秩父セメントの諸井虔さん、日本アイ・ビー・エムの椎名武雄さん、それから京セラの稲盛さん、こういう方々が沖縄のためにやってやろうと立ち上がったわけですね。今ふり返ると、稲盛さんも中山さんも、沖縄が戦争で犠牲になったことへの贖罪と言いますか、何かをしてあげなくちゃいかんという気持ちがあったのだと思いますよ。政府は振興策でカネを入れる、それでインフラを整備する。経済人は政府に対して、東京と沖縄が一緒になっていろんな注文をつける。これが中山さんの一つの狙いで。経済人が別ルートで、総理にもどんどんモノを言う。沖縄サミットもそうですね。沖縄懇話会は東京で「サミットを沖縄に持ってくるべきだ」と大会を開きまして、小渕総理も来たんですよ。中山さんも牛尾さんも、それぞれ閣僚に接触している。これで実現したわけですね。もう一つは、沖縄科学技術大学院大学を作りましたね、これも大きい。沖縄で人材を育成するために、世界でナンバーワンの、日本にない技術系の大学院を作るべきだ、と。懇話会としてシンポジウムもやりましたが、東京側の幹部が相当政府に働きかけた、これも大きいと思います。表面的な陳情ではなく、財界が動かないとできないこともあるんです。それから、三つ目に中山さんのおっしゃっていた「沖縄はアジアへのゲートウェイだ。アジアに目を向けなさい」ということ。これは大交易会を立ち上げた。商品を提供するサプライヤーとバイヤーが合わせて650社、一堂に会する国際食品商談会で東南アジアからもたくさん買い付けにきます。成約率も30%と好評で、これを懇話会が中心になって、県と一緒に官民一体でやっています。プレ交易会も含め、2019(令和元)年で8回目となりましたが、これからもうんと力を入れて育ててみたいと思っています。30回になりますからね、その中で沖縄振興策についていろんな提言をしてきました。特にラウンドテーブルには本土の有識者をパネラーとしてお呼びして、沖縄がこれから進むべき方向などについて討議をしてもらうわけです。それを一つずつ実現していくと。そういう意味では大交易会というのは大きな事業ですね。――それにしても、ダイキンオーキッドも懇話会も沖縄セルラー電話も、中山さんの鶴の一声で「ハイ」とすぐに出来るものではありませんよね。経済振興、人材育成、アジアに目を向けること。「中山学校」の教えが懇話会のバックボーンに。――それが沖縄セルラー電話の設立になったわけですか。それは確かに仰天ものですね。――実際に色々なものが実現していますね。――ラウンドテーブルからもさまざまな提言、構想が飛び出しましたね。「東京で通用する人材が沖縄で育ってきている。今後の懇話会が楽しみです」

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