沖縄懇話会30周年記念誌
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37より感謝申し上げます。当社は琉球放送と一緒に、女子プロゴルフの開幕戦「ダイキンオーキッド」を開催しています。33年前の1987(昭和62)年の秋頃、琉球放送の小禄社長(当時)から大会開催の提案を受けました。その頃、当社は売上高3000億円程度で、テレビCMも少なく、女子プロゴルフトーナメントの主催など考えたこともありませんでした。しかし、財界の鞍馬天狗と称された日本興業銀行の中山素平氏(当時特別顧問)から、当社の山田社長(当時)に「沖縄は、戦争で大きな犠牲を払ったが、戦後、アメリカ政権の管理下にあった為、本土との関りが少なく、本土には沖縄に対する関心や問題意識が低い。本土財界はもっと沖縄の現実を知るべきだ。沖縄のために一肌脱いでくれんか」との話があり、開催を決定するに至りました。何より、小禄社長の、女子プロゴルフ開催を通して沖縄の素晴らしさを全国に発信したいという熱い想いに心を打たれたということもあります。オーキッドが始まって3回目の頃にウシオ電機の牛尾治朗会長(当時)や秩父セメントの諸井相談役(当時)から、「これだけの本土の財界トップが前夜祭やプロアマに参加するのは、日本でも珍しい。せっかく沖縄でやるのだから、何か沖縄のためになる取り組みをやろうじゃないか」という話があり、沖縄懇話会の発足に至りました。そういう意味では沖縄懇話会とダイキンオーキッドは、まさにきょうだいの関係と言えるでしょうね。オーキッドの立ち上げから沖縄に関わってきた私にとっては、沖縄懇話会が沖縄の発展と共に30周年を迎えたことは非常に感慨深いものがあります。代表的な成果として、日本サミットの沖縄開催に向けた働きかけ、那覇空港の拡張(物流ハブ拠点化、第二滑走路の増設など)や沖縄科学技術大学院大学の設立等のバックアップがあると思います。私は沖縄サミットの開催には直接は関わっていませんが、沖縄での開催実現に向けては沖縄の財界人と、牛尾さんはじめ本土の財界人の強い想いが重なり、政府を動かした部分が大きかったのではないかと思います。沖縄科学技術大学院大学が開学する年には、ダイキンオーキッドに来られた財界人にも世界に誇る素晴らしいキャンパスを見ていただきました。いずれ、ノーベル賞学者を輩出するようになることを期待しています。こうした実績は、沖縄懇話会の皆さんがそれぞれ熱心に動いた結果だと思います。また、2014(平成26)年に始まった「沖縄大交易会」は現在の沖縄側代表幹事の安里さんが、本土の自治体等を回って、大変熱心に努力なさって実現にこぎつけました。今や全都道府県そしてアジア各地から出展があり、国際的な物産食品商談会へと拡大しています。これもすばらしい成果の一つだと思いますよ。――沖縄懇話会とのご縁は、どういった形で始まりましたか?――この30年間、沖縄懇話会の提言やバックアップで実現した施策が数多くあります。どんなものが印象に残っていますか?沖縄経済と地域活性化に大きく貢献しているダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメント。すべては「沖縄への思い」から始まった。

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