沖縄懇話会30周年記念誌
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沖縄懇話会30周年に寄せて20日本アイ・ビー・エム株式会社名誉相談役椎名 武雄沖縄懇話会の創設とその運営活動に携わってきた一人として、昨年12月の沖縄懇話会30周年記念行事の成功に続いて本年8月の記念誌の発行の運びとなったことに心からお祝い申し上げます。ダイキンオーキッドレディスゴルフトーナメントの一環として開催されていた沖縄と本土との財界人の交流の場を、しっかりと定着させて組織化しようという中山素平さんの発案に賛同した皆さんが集まって、1990(平成2)年に沖縄懇話会が発足しました。私は牛尾治朗さんに誘われてこの懇話会創設に参加させていただきました。以来多くの皆さまとの様々なご縁に恵まれて、有意義な時間を共有できたことはかけがえのない財産になっています。特に当時沖縄懇話会の沖縄側リーダーの一人だった稲嶺惠一さんが知事に就任された1998(平成10)年からの稲嶺県政の時代には、通常のビジネス活動ではなかなか経験できないような大きな政策課題に皆で力をあわせて挑戦して成功させるという貴重な機会を得ました。なかでも思い出深いのは、①2000(平成12)年サミットの沖縄招致活動と、②2001(平成13)年の沖縄科学技術大学院大学(OIST)構想検討会参加と提言とりまとめ、の二つがあげられます。①については、沖縄経済界の皆さん、沖縄県の関係の方々、東京の各経済団体の有志の方々等と緊密に連携して、東京で何回か会合を開いてサミット沖縄開催のムードを高めるとともに政府や党の要人の方々ともいろいろと相談させていただきました。②については、尾身幸次大臣主宰の構想検討会に有馬朗人先生や黒川清先生とともに参加して、最初の骨格作りに携わりました。OISTは、その後2011(平成23)年に設立されて2019(令和元)年には「ネイチャーインデックス」評価で質の高い論文数で世界9位、日本で1位という立派な成果をあげていることは嬉しい限りです。これらに共通するコンセプトは、沖縄が掲げる世界と日本の架け橋、万国津梁の精神にあると思います。最後に日本アイ・ビー・エムと沖縄との歴史に簡単に触れてみます。米国系IT企業なので実は沖縄との関係はかなり古く、沖縄のお客様向けの営業拠点をもっていました。その後1990(平成2)年に琉球銀行グループとの共同出資会社として「リュウアイ・システムズ」を設立してITサービスビジネスを開始し、2000(平成12)年にはそのバックオフィス業務の一部を担う沖縄センターを開設しています。この沖縄センターはその後いろいろと変遷があるものの順次業容を拡大して、今日では日本アイ・ビー・エムの販売活動から管理業務までバックオフィス業務全般を担う一大ビジネス拠点にまで成長しました。これはひとえに社員として働いてくださっている沖縄県民の皆さんの長年にわたる努力の成果だと感謝しています。日本と世界とを牽引する沖縄の心意気をこれからも存分に発揮していただくことを願って私からの30周年記念の祝辞といたします。

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